研究全体の概要
感染症の原因微生物に対して私たちがどのように免疫を獲得するかは、発症のしやすさや治りやすさ、また感染の広がりやすさと関係しています。特に新興感染症といわれるこれまで人類が出会ったことがない微生物による感染症では、免疫獲得状況を知ることによって、どのような経過をたどる感染症で治療や予防をどうしていくべきなのか、そして社会の人々がどのような行動をとっていくべきなのかの判断に大きく影響を及ぼします。免疫獲得を示す抗体の中でもウイルス排除能力を示す中和抗体を多くの人で評価できるようになると、安心して医療従事者の仕事や患者の治療が行える環境の整備や、感染拡大に対する行動計画の際の有用な情報となります。
生きたウイルスは標的とする細胞に感染しますが、中和抗体があるとこの感染が抑えられます。つまり、血液成分を加えることで感染が抑えられた場合には、その血液中には中和抗体があることを示すことになります。中和抗体の評価には生きたウイルスが必要となるのですが、パンデミックの場合では微生物の病原性が十分にわからないために、取り扱いに慎重を期すことが求められ、一般的な検査室では取り扱うことができません。対応するのはバイオセーフティーレベル3(BSL3)という条件を最低限満たす環境に限られ、国内でも一部の研究機関で限られた人しか扱えないのが実情です。
そこで、一般的な検査室の環境であるバイオセーフティレベル2(BSL2)でも取り扱えるようなシュードタイプウイルスを活用して、中和抗体の評価に利用します(図1)。分担者の谷が持つウイルス学的技術を応用し、外部は新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の殻を被り、内部には別の水疱性口内炎ウイルス(VSV)の遺伝子を保有するウイルスを利用し、中和抗体評価系を準備しました。細胞に感染した後のウイルス量は、仕組まれた光の強さで評価します。この方法でうまく中和抗体を捉えることができるのかが大切となります。
さて、評価法をどう活用するのかも大切となり、考えられる課題を克服する必要があります。
たとえば、生きたウイルスや生きた細胞を利用する中和抗体の測定では、病院の検査室にあるような機械で自動的に測定するのが難しいことが課題です。そのため、機器により支援ができる部分は機器を導入し、より数多くの検体を一度に評価する工夫が必要です。必要な検体を少量化することや、同時に多数の評価ができる条件設定を行う必要があります。また、パンデミックでは検査対象者から検体を採取すること自体で感染のリスクがあります。採血にはそれなりの手間が必要となるため、採血時の労力と採血者の感染リスクを抑えられる方法でサンプルを集めることも大切となってきます。これらが克服できれば大規模測定の可能性が開けてくることになります。
最後に、中和抗体の保有を見分けるためには、測定で得られる値がどのような意味があるのかを患者さんや健常者の方で確かめる必要があります。そのためには、協力していただく対象者の方でのウイルスの保有状況や症状の詳細と照らし合わせて、値が持つ価値を設定していかなくてはなりません。ウイルスがいても症状がない人もいます。このような人で中和抗体ががどう獲得されるのかもわかりませんので、多くの人の血液を集めて情報を整理していく必要があります。
本研究開発に期待される効果も大きいと考えられます(図2)。例えば、医療現場の最前線での安全確保、ワクチン効果の評価への活用が期待されます。また、多くの人の「抵抗力」を知ることで、感染防止対策と社会経済活動が両立した行動計画が立案できるようになる可能性もあります。研究者が連携して取り組んでいくことで、抗体保有者の把握につながる中和抗体検査法の社会実装化を目指しています。